きゆさだのブログ

ワイルドサイド抜け作

岩手旅行④ キャリー・ミー

【2日目・9/15】

 6時半ごろ起床。スマホを防水ポーチに入れシャワーを浴びていたらミサイル発射の緊急警報が鳴り肝をつぶす。8時半ごろ、ホテルのレストランで朝食。まめぶ汁の鍋があったけど来るのが遅かったようで、まめぶが一つもないただのおつゆになっていた…。9時半ごろ車に乗り込み、今まで行ったことのなかった小袖海岸へ向かう。あまちゃんで袖ヶ浜と呼ばれていた場所。

 天気は良いけどやっぱり雲が多くて、そのうえ昨日より風が強い。市街地から数分で見えてきた海は濃い青色、いたるところにそそり立つ尖った奇岩に白波が当たっては砕け散る。流しているBombay Bicycle Clubの唸るようなディストーションと甲高いストリングスがマッチしていていい感じだ。しかし滅多に来ない太平洋側なのに、これじゃまるで盆の帰省で見慣れた日本海じゃないか。父はリアス式のうねる海岸線に沿ってグリグリとハンドルを切りながら、子供のころ胸を踊らせたこの海へ向かう景色が、いまだに夢に出てくることがあると話した。やませの影響をもろに受けるこの海の夏は短く、夏休み中の子供たちが泳げるチャンスは決して多くないという。私は昔のことをあまり夢に見ないのだけど、今は忘れている記憶もこれから歳を重ねるうち、そうやって浮き上がってくることがあるだろうか。

 小さな湾の入り口の「じぇじぇじぇ発祥の地*1」と書かれた石碑の近くに駐車。車を降りたとたん強い潮風で髪がボサボサになる。とりあえず小さな湾に沿って、有名な灯台へと続く防波堤添いに歩く。コンクリ壁がところどころ2色になっていて、震災後に直されたところだとすぐにわかる。灯台は残念ながら工事中で近づくことができず、私達は少しの間、規制線の向こうにたむろするウミネコの群れを眺めた。彼らは私達に気づくと一斉に飛び立ち、湾の対岸の車を停めたあたりへ移動していった。大して近づいてないのにな。

 湾の奥には3階建ての小さな建物・小袖海女センターがあって、売店や海女関係の展示や食堂(海女cafe)がある。表に大きなバーベキューコンロがあったけど、時期を過ぎたからか平日だからか、特に何もやっていないようだった。売店には黒光りするでかいコンブやらまんま漁網で出来たボディタオルやら、なんだかいかつい品々が並んでいる。私は大人しくアカモクと小エビのだし茶漬けの素を購入(おいしかった)。コテコテの久慈弁で棒金をやりとりするレジのおばちゃんに和む。屋上で親子岩のワイルドなテクスチャを堪能し、あまちゃんのOPっぽい写真を何枚か撮ってから車に戻った。いつのまにかウミネコ達はふたたび灯台の方へと戻っていた。

 帰りの道中で車を停めて近くの砂浜に降り、つりがね洞という穴の空いた奇岩を眺めた。岩も上に生えている松の木もかっこいい。明治の津波で流される前は実際に鐘型の岩がぶら下がっていたという。かつて父がよく遊んだというそこは、角ばった石だらけのほんとうに小さな浜辺だった。

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*1:よく聞かれるんですが「じぇ!」は小袖の非常に限られた地域のことばなので、父も親類も使いません。

岩手旅行③ ハイパーフォーク

 17時ごろに久慈に到着しホテルにチェックイン。人口3万人台の小さなこの町に、ホテルらしいホテルは2軒あるだけだ。前回私達が泊まり、その後NHK撮影班の拠点になったのはもう片方のほうだった。荷物を部屋に置いてすぐ、地下道を通って駅反対側の市街地へ出る。ただでさえ2階建てばかりの大通りは震災後に電線が地中化され、記憶よりも更にこざっぱりして見えた。空が広い。前夜祭のメイン会場となる道の駅へ向かっていると、ちょうど同じく会場へ向かおうとする何台かの山車に出くわした。炎や波しぶき、鬼、偉人、大仏、虎など様々なモチーフの立体が組み上げられた10tトラック。ひと目見て、(ものすごく気合の入ったデコトラみたいだ)と思った。行き会った中には父の実家まわりの組の山車もあって、私達は思いのほか早く“相談役”の法被を着た叔父と再会した。叔父は最後に見た記憶よりもややふくよかになっていて、東京の美大生である妹と神戸のOLである私を見比べ「きゆさだはあんま変わってねェな」と言った。むむむ。

 久慈秋まつりは前夜祭・お通り・中日・お還りの4日に渡って行われる。私が子供のころに帰省で来ていたのは正月だったから、この祭りに来るのは初めてだ。豪華絢爛な山車を引くスタイルはねぶた以外にも青森周辺で多く、ほどんどは夏なのに久慈はなぜか秋。「お通り」「お還り」という名前からして、迎えるのは祖霊ではなく豊穣の神なんだろうか。開式の辞によると祭りの起源は室町時代にまで遡るらしい。ほんまかいな*1。偉い方々の挨拶が終わったあと「子供たちを前にね!出してやってくださいよ〜」という呼びかけがあったので、何かと思ったら餅まき。そういえば何かにつけて餅まきやるってあまちゃんで言ってたな。

 お通りとお還りでは大通りを運行する全8組の山車が、前夜祭では道の駅に集結して順番にお囃子を披露する。ものすごく気合の入ったデコトラのような山車は8台も並ぶとさらに圧巻、昔のフジファブリックこんなMVあったな。順番が来た組の唄い手の男性が意気込みを語り、若衆の叩く和太鼓に合わせて吟じる。山車の前に立つ子供達のヨイサーノセーという掛け声があとに続き、横笛が鳴る。7,8人で横笛を吹いているのは中学生だろう。するとトラックサイズだった山車の上部が2階建てくらいの高さまでせり上がり、隠れていた主役の人形が現れる。おもむろにブシューッとスモークが吹き上がり、思わずオオーッと声が出る。閻魔、上杉謙信源義家劉備……山車のテーマは組により様々だけど、心なしか中国系が多い。派手だからか。父は「昔、あの飾りが電線に引っかかって停電したりしたんだよな〜」と笑った。おいまさか、これのために電線地中化したわけじゃないだろうな。

 聞けば特に専門の職人がいるわけでもなく、どの組の山車もほぼ手弁当で作られているらしい。スポンサー広告も見えた限りではビールメーカー1社だけだった。実際ほほえましい手作り感がにじんでいる所もあったけど、ほとんどは発泡スチロールやハリボテで出来ているとは思えない。こんな小さな町の小さな地域単位で、こんなに立派な山車が毎年作られているだなんて!特に順位がついたりすることも無いらしいので、マジで意地と伝統と愛で維持されているクオリティだ。ましてやこの祭り、去年は台風災害でまるごと中止になっているから、どの組もきっと例年にも増して気合が入っていることだろう。ああ私の地元のお祭りなんて、規模は大きくても屋台と花火ぐらいしか見るもんないというのに…。次第に日は暮れ、群青の空に照明のついた山車の彩りがきれいに映えている。前夜祭に観光客はあまり来ないそうで、まわりの人混みは法被を着た人とそうでない人が半々くらい。耳に飛び込んでくる久慈弁の訛りは盛岡のそれよりも濃く、だけどどこか柔らかい。お囃子の順に沿ってそれぞれの山車を見て歩いていると、いつの間にか父が屋台で買ったらしいビールをちびちびやっていた。すかさずグイッと一口もらう。缶ビールがこんなにふさわしい場面が他にあるか。

 最後の組までお囃子を見終え、大通りから一本入って父の幼馴染がやっているという店に行った。てっきり居酒屋かと思えば、サーフショップ風のお洒落なダイニングバー。少し前に東京で父とドゥービー・ブラザーズを見たというご夫婦が(来日してたの知らなかった)、特製のおまかせコースで手厚くもてなしてくださった。菊花の煮物やいぶりがっこなど和食もたくさん出てきてどれもおいしい。特にカクテルの種類が豊富で、ノンアルも含め神戸でもあまり見ないくらい充実していた。蟹のトマトクリームパスタや油そばなど、アルコールも炭水化物もがっつり頂いてお腹いっぱい。後々聞いた話では、元は由緒正しい料亭だったのを畳んで今の形に落ち着いたのだという。私達はホテルに戻り、ただ父だけはご夫婦からのお土産だけ置いてすぐ店に戻っていった。確か22時か23時くらいだったか。ベッドに横になると疲れからかすぐに眠気が来て、うっかりメイクも落とさないまま寝落ちしてしまった。

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*1:Google先生によると祭祀行事そのものの記録が残っているのがそのあたりで、八戸の影響を受けて山車が登場したのは少なくとも明治以降と思われるのだそう。

岩手旅行② 午後四時の君

 4号線から県道に入るとだんだん山道になってきた。山あいの葛巻町中心街を抜けて白樺林を走り、平庭高原の駐車場に車を停める。平日とはいえ相変わらずひと気がない。6年前に祖父の初盆で来た時と同じように、白樺林の散歩道をぶらつく。時刻は15時すぎ、木漏れ日の陰り具合からして、ほんのり西日になり始めている気がする。木は細身で背の高い白樺やブナ、草は足首程度のが地面を覆うように生えていて、整備されているのだろうけどやっぱり、西日本の山道みたいに鬱蒼と茂ることはない。白樺自体は県道沿いの方がたくさん生えていたけど、北日本らしいこざっぱりとした森は歩いてこそ気持ちがいい。

 私と妹はそれぞれカメラを構えながら歩き、ほどよく木漏れ日のさすポイントを探ってはシャッターを切る。時おり母の見つけたキノコを一緒に見たり、周りの植物や昆虫について父が話すのを聞いたりする。前回はこの林を歩くだけで終わったけれど、今回はさらに先を行ってみることにした。ゆるやかに上っていく道を10分ほど歩くと、だんだん差し込む光の量が増えてきて、ふいに目の前が開けた。先を行く父と妹の背中が陽の光を受けてシルエットになった時、土まみれのガラスを洗うようににわかに心が澄み渡ったような気がした。自然を相手に前ぶれもなく心が震える瞬間は、相手が大きすぎて言葉も涙も出てこない。理由を言語にする必要もない。ただその一瞬胸を満たした光のことを出来るだけ長く覚えていたくて、帰ってきた今も何度も思い返している。

 ところどころススキが群れる荒涼とした野原に出た。草のそよぐ音と秋の虫の声だけが聞こえる。遠くにぽつりと木箱のようなものが見えたので行ってみると、目の前の山=平庭岳の登山者記帳簿が置かれていた。他に何もないけど一応登山口らしい。やや強い風に吹かれながら、地平に青く連なる北上山地、揺れるススキやアザミの花を眺めていると、数百キロ先に置いてきた日々のことなんて簡単に頭から吹き飛ばせるような気がした。そうやってぼうっとしたり名前の分からない花の写真を撮ったりしているうちに、大きな綿雲で太陽が隠れてしまった。にわかに寒くなったので惜しみつつも退散。

 高原に着く少し前にHYUKOHのアルバムは終わっていて、続いてシャムキャッツをかけていたところだった。車を出したあとまた日が射してきて、流れ出した「Four O’clock Flower」が西日の山村と妙にしっくりはまっていた。もしやとカーナビの時計を見ると、きっかり16時になったところだったので少し驚いた。

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岩手旅行① マウンテン・ビュー・フォー・ユー

【1日目 9/14】

 朝5時半頃に家を出て、新神戸から新幹線に乗車。実家のある岡山から乗ってきた母の隣に座り、ケルンで買ってきたコッペパンを朝食にしながら雑談。関東まで空はずっと厚い雲に覆われていて、富士山も麓のわずかな稜線しか見えなかった。柴田聡子のようにはいかない。スプライトも買い忘れた。新横浜で父が乗ってきて、東京で降りて乗り換え先のホームで妹と合流。家族揃って東北新幹線へ乗る。4人で出かけるのは5年ぶりか。

 昼ごろ盛岡駅に到着。駅ビルで冷麺を食べ、レンタカーを借りて国道4号線を北へ走る。少し郊外に出ただけで街の建物がだだっ広い牧草地に変わり、奥には雄大岩手山がそびえていた。雲は多いけどよく晴れていて、途中で寄ったコンビニの駐車場で深呼吸すると、カラリと乾いた涼しい空気が入ってくる。まさに賢治の言う“夏でも底に冷たさを持つ青いそら”だと思った(9月だけど)。雪の積もる正月に来ていた子供の頃は気候が違いすぎて分からなかったけど、やっぱり西日本とははっきり違う。カーナビ操作が苦手な母の代わりに助手席に移り、グローブボックスを開けると中からステレオミニプラグが伸びている。3人に許可を得てiPhoneを接続!レンタカーってこういうハイテクがあるのか。とりあえずなるたけ爽やかなやつを、とHYUKOHの新譜を選ぶ。

 左手背後にだんだん遠くなる岩手山には少し雲がかかっている。右手背後には岩手山よりもやや低い先の尖った山。父が話し始めたことには、この姫神山と岩手山、そのどちらかに“だけ”雲がかかっている光景がとても多いのだという。2つの山の“夫婦別れ”と呼ばれるこの現象にちなんで、山の神が浮気だの別れ話だのですったもんだする神話が残っているらしい。実際話のあとの道中、姫神山の山頂に雲がかかっているのを見つけ、あわてて岩手山の方を見るともう晴れていたのだった。不思議だなあ。

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執筆履歴(2016以前)

ブログ再稼働ということで、ほんとちょこっとですがまとめます。
 

2016

1発目、ギターの音にクローズアップしたやつです。
このころイヤホンをハイレゾ対応のものに買い替えて顕微鏡を覗くような聴き方を楽しんでいましたが、ふと「心臓の音が邪魔だな」と思ったあたりから少し差し控えました。
この年これだけってまじかよ。
 

2015

sufjan stevens、Hi, how are you?、AWESOME CITY CLUBの3枚。
 
想像で語るという言い方はちょっと語弊があったかもない。しかしどちらにせよGt菅原さんは去年故郷(団地)に引越したそうです。
講座でタナソウさんに見ていただいた日のことは人生屈指の強い記憶になりました。
 
Tito Puenteです。
職場の他部署にラテン好きのおじさまがおり、飲む機会があったのでこのときの話を持ち出したところめちゃくちゃ輝いた瞳で食いつかれました。これ以外聴いたことのないジャンルだったので全く話が広がらず、かえって申し訳ない思いをしました。
 

2014以前

昔のブログにまとめています。