きゆさだのブログ

ワイルドサイド抜け作

岩手旅行③ ハイパーフォーク

 17時ごろに久慈に到着しホテルにチェックイン。人口3万人台の小さなこの町に、ホテルらしいホテルは2軒あるだけだ。前回私達が泊まり、その後NHK撮影班の拠点になったのはもう片方のほうだった。荷物を部屋に置いてすぐ、地下道を通って駅反対側の市街地へ出る。ただでさえ2階建てばかりの大通りは震災後に電線が地中化され、記憶よりも更にこざっぱりして見えた。空が広い。前夜祭のメイン会場となる道の駅へ向かっていると、ちょうど同じく会場へ向かおうとする何台かの山車に出くわした。炎や波しぶき、鬼、偉人、大仏、虎など様々なモチーフの立体が組み上げられた10tトラック。ひと目見て、(ものすごく気合の入ったデコトラみたいだ)と思った。行き会った中には父の実家まわりの組の山車もあって、私達は思いのほか早く“相談役”の法被を着た叔父と再会した。叔父は最後に見た記憶よりもややふくよかになっていて、東京の美大生である妹と神戸のOLである私を見比べ「きゆさだはあんま変わってねェな」と言った。むむむ。

 久慈秋まつりは前夜祭・お通り・中日・お還りの4日に渡って行われる。私が子供のころに帰省で来ていたのは正月だったから、この祭りに来るのは初めてだ。豪華絢爛な山車を引くスタイルはねぶた以外にも青森周辺で多く、ほどんどは夏なのに久慈はなぜか秋。「お通り」「お還り」という名前からして、迎えるのは祖霊ではなく豊穣の神なんだろうか。開式の辞によると祭りの起源は室町時代にまで遡るらしい。ほんまかいな*1。偉い方々の挨拶が終わったあと「子供たちを前にね!出してやってくださいよ〜」という呼びかけがあったので、何かと思ったら餅まき。そういえば何かにつけて餅まきやるってあまちゃんで言ってたな。

 お通りとお還りでは大通りを運行する全8組の山車が、前夜祭では道の駅に集結して順番にお囃子を披露する。ものすごく気合の入ったデコトラのような山車は8台も並ぶとさらに圧巻、昔のフジファブリックこんなMVあったな。順番が来た組の唄い手の男性が意気込みを語り、若衆の叩く和太鼓に合わせて吟じる。山車の前に立つ子供達のヨイサーノセーという掛け声があとに続き、横笛が鳴る。7,8人で横笛を吹いているのは中学生だろう。するとトラックサイズだった山車の上部が2階建てくらいの高さまでせり上がり、隠れていた主役の人形が現れる。おもむろにブシューッとスモークが吹き上がり、思わずオオーッと声が出る。閻魔、上杉謙信源義家劉備……山車のテーマは組により様々だけど、心なしか中国系が多い。派手だからか。父は「昔、あの飾りが電線に引っかかって停電したりしたんだよな〜」と笑った。おいまさか、これのために電線地中化したわけじゃないだろうな。

 聞けば特に専門の職人がいるわけでもなく、どの組の山車もほぼ手弁当で作られているらしい。スポンサー広告も見えた限りではビールメーカー1社だけだった。実際ほほえましい手作り感がにじんでいる所もあったけど、ほとんどは発泡スチロールやハリボテで出来ているとは思えない。こんな小さな町の小さな地域単位で、こんなに立派な山車が毎年作られているだなんて!特に順位がついたりすることも無いらしいので、マジで意地と伝統と愛で維持されているクオリティだ。ましてやこの祭り、去年は台風災害でまるごと中止になっているから、どの組もきっと例年にも増して気合が入っていることだろう。ああ私の地元のお祭りなんて、規模は大きくても屋台と花火ぐらいしか見るもんないというのに…。次第に日は暮れ、群青の空に照明のついた山車の彩りがきれいに映えている。前夜祭に観光客はあまり来ないそうで、まわりの人混みは法被を着た人とそうでない人が半々くらい。耳に飛び込んでくる久慈弁の訛りは盛岡のそれよりも濃く、だけどどこか柔らかい。お囃子の順に沿ってそれぞれの山車を見て歩いていると、いつの間にか父が屋台で買ったらしいビールをちびちびやっていた。すかさずグイッと一口もらう。缶ビールがこんなにふさわしい場面が他にあるか。

 最後の組までお囃子を見終え、大通りから一本入って父の幼馴染がやっているという店に行った。てっきり居酒屋かと思えば、サーフショップ風のお洒落なダイニングバー。少し前に東京で父とドゥービー・ブラザーズを見たというご夫婦が(来日してたの知らなかった)、特製のおまかせコースで手厚くもてなしてくださった。菊花の煮物やいぶりがっこなど和食もたくさん出てきてどれもおいしい。特にカクテルの種類が豊富で、ノンアルも含め神戸でもあまり見ないくらい充実していた。蟹のトマトクリームパスタや油そばなど、アルコールも炭水化物もがっつり頂いてお腹いっぱい。後々聞いた話では、元は由緒正しい料亭だったのを畳んで今の形に落ち着いたのだという。私達はホテルに戻り、ただ父だけはご夫婦からのお土産だけ置いてすぐ店に戻っていった。確か22時か23時くらいだったか。ベッドに横になると疲れからかすぐに眠気が来て、うっかりメイクも落とさないまま寝落ちしてしまった。

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*1:Google先生によると祭祀行事そのものの記録が残っているのがそのあたりで、八戸の影響を受けて山車が登場したのは少なくとも明治以降と思われるのだそう。