きゆさだのブログ

ワイルドサイド抜け作

マチノブンカサイから

かつて私は岡山駅から一番近い大学に通っていた。ほぼ学外で活動するような軽音サークルに入り、厳正なる消去法の結果部長もやっていたので、4年間で他大学のバンドマンの友人やライブハウススタッフの知人も何人かできた。しかし、それでもあまり通うことのないまま岡山を離れてしまった場所がいくつかある。エビスヤプロ、蔭凉寺、奉還町KAMP(は私の卒業後にできたのかもしれない)、そして、マチノブンカサイを主催しているカフェ&ライブスペースの城下公会堂もその一つだ。マチノブンカサイは毎年9月頭。盆直後なのでこれまでなかなか行けずにいたがやっと行けた。無職さまさまであった。

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 マチノブンカサイの会場は、岡山城近くにある廃校、旧内山下(うちさんげ)小学校。森山直太朗二階堂和美ら間違いないメンツが揃っていたが、ライブと同じくらいフードやワークショップが強力だった。ガチの雨天で運動場のフードは濡れながら食べざるを得なかったけど、校舎のワークショップはどこも大盛況。今まで見たことないくらいたくさんの種類があった。真鍮アクセサリー教室で本気で金槌を振り下ろすお姉さん、カラーセロハンをせっせと切り抜く小学校高学年女子、無地Tシャツにカラフルなガムテを貼りまくるキッズ、ただものを積み上げるだけの部屋から定期的に聞こえてくる歓声、とかとか。

さみしがりゆえ一人でワークショップには入れなかったけど、販売をしているところも沢山あったのでいくつか買った。地元の友人を誘ってくればよかったと思いかけたが、途中抜けしてアンテナの編集会議にスカイプ参加するからダメなんだった。

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ライブの方は、東京等から呼び寄せた顔ぶれが揃う体育館ステージと、地元のアーティスト達が出る運動場ステージの2ステージ制。ひとつハイライトとして、昨年まで運動場ステージに出ていたというさとうもかさんが、今年から体育館ステージのトップバッターになっていた。オール在岡バンドマンのさとうもかバンドによる骨太のアレンジ、メンバーに全幅の信頼を寄せているもかさんのドライブ感が最高に楽しい。

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YeYeさんのバンドセットはおよそ1年ぶりだそうで、でもとてもそうとは思えないグルーヴ感だった。メンバー個々の練り上がりっぷりと信頼関係の賜物か。ボケとツッコミが高速回転するナチュラルボーン関西MCで笑いを噛み殺しすぎた。

編集部会議のためグッドラックヘイワを1曲だけ聞いて一時離脱。戻ってきてMCのキャラまで作り込むニカさんにパフォーマーとしてのまぶしさを見つつ、雨の止んだ運動場と体育館をなんとなく往復していた。

森山直太朗を見たのはおそらく初めてで、私のいた場所のすぐ近くに降りてきてやった「どこもかしこも駐車場」の大合唱になんだかすごく感動した。去年、いやそれ以前もか?マチノブンカサイでは定番の光景らしいけど。これは本当に個人的な記憶と重なったからという以上の何でもなく、ちょうど私が大学にいた時期に岡山駅西口につながる通学路の民家がどんどん駐車場になっていったのだった。今はもっと進んでいるかもしれない。

おれたちはここにいるぞと存在証明みたいに同じ歌を歌う気持ちよさはとても脆い感動かもしれないけど、実際そうそう味わえるもんじゃない。死ぬほど頼りない個人的な記憶由来でも、だからあの歌はあの頃の私の/この街の歌なのだという直感は否定しない。直感由来の結論がそれっぽくなるよう外堀を埋めていくのも評論のやり口の一つ。いやここで埋めるわけじゃないけど、そういう考え方の習慣みたいなのがある。

 驚かす気満々でYeYeバンドのリッキーさんに話しかけたら、実は彼も岡山に古い縁があるそうで、そういう人が意外と関西に多いことを思い出した。私はレペゼン岡山ぶってるけど親類縁者は全員北陸か東北で、自分の湿った耳垢を辿ればたぶんアイヌかその祖先に行き着く。身体的なルーツは岡山には無く、でもアイデンティティと聞いて実家周辺の次に思い出すのが岡山市街地なのは、やっぱり知人が一気に増えた場所だからだと思う。なのに行っていない良い場所がまだたくさんあるのは心苦しいけど、そもそも戻ってくるのでもない限り、今も住んでいる人々と全く同じ視点に立てていると思うべきではない。電車にちょっと乗っただけで来日公演が見られるありがたさを噛み締めることもいつしか無くなった。これは住んだことのない他の街に相対する時もそうで、暮らすように旅するとかたぶん究極的には無理である。

昔、岡山のとある大好きなイベントのボランティアスタッフの面接で「でも岡山からは離れたんじゃろ?」と言われたことをよく覚えている。なんと答えるべきだったのか未だにわからないし、ずっとわからない気がする。その言葉の何かを疑う気もない。
このごろ尾道にも新しく友達ができて、これからも中国地方の何箇所かを私は見聞きし、訪れ、書いていくと思う。観光客なりの誠意の持ち方を見つけなければならない。

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去年のフジのDirty ProjectorsオソロTがなぜか売っていた。なぜか、というか実際ここで売っていたものをデイヴが着用していたのだと思う。ミカヅキショウテンという直島のコーヒースタンド。